積もり積もって先延ばし

23歳男子、ケッタイなことを考えようにも頭が追いつかない。

最近見た映画 <20181121>

お題「最近見た映画」

 

ドゥルルルル。お題。最近見た映画。

 

 

 

四月の永い夢

 

 しばらく海外に行っていた僕ですが、帰国後に初めて見た映画が中川龍太郎監督の『四月の永い夢』という邦画でした。新宿武蔵野館へ足を運び、劇場内の人影はまばらだったけど、一人で見に来ている男がちらほら。『マンマ・ミーア』とは客層が違う。

 主演は朝倉あきさんでーーと、映画の月並みな解説を初めても良いのだが、僕が今更そんな紹介を素人なりにしたところでさして需要はないでしょう。そ言うわけで、あっちへいったりこっちへいったい、思いつくままに書いてみる。

 

 とはいえ、最低限のあらすじは言っておく。3年前に恋人を亡くし、未だ失意の中にいるヒロインの元音楽教師がゆっくりと立ち上がろうとする(立ちあがれたかは、まあ、観て欲しいところである)過程が描かれている。

 テーマというか状況設定に殊更注目する点はないでしょう。恋人を亡くしたり、そこから人の温もりに触れてゆっくりと自信を束縛から解き放っていくのは普遍的なモチーフであり、そこに様々な語りを載せやすい一つの流れを持っている。人の死から何かを語るよりも、何かを語る際に人の死が絡んでいた方が説得力を持つと言う、そういうアクチュアルな手法の問題であって、この作品自体が死から始まるわけではないと思う。ちなみに、死にあまり数的意味はないでしょう。ヒューマンドラマの一人と、戦争映画の一人にあまりにも明確な違いがもたらされてしまうのは、もっと質的な相違がある。

 

 ところで、例えば、僕はこの主人公滝本初海よりもよっぽど幸福な世界の住人で、恋人を亡くしたことはなく、実家で不便のない暮らしをしている。日常性の渦巻く作品(映画であれ、漫画であれ、小説であれ)を鑑賞するたび、こうした自分自身の境遇と作品世界のそれとを行ったり来たりしながら進むタイプなのだが、今回の作品は圧倒的な悲劇や喜劇ではなく、自分と対置することも同化させることもできないような場所にあった。批評というより単なる感想になってしまうが、こうした自分との「中途半端な距離にある作品」といのは意外と貴重で、ここに、完全なエンターテインメント化せず「自らが入り込む余地のある映画」が生まれている気がする。主人公の葛藤やあるいはもやもや、言語化することの能わぬ感情それそのもののあり方が、曖昧なものとして観客自身の抱く曖昧さへと直接に結びつく。具体的描写だけを見ているだけのフィルムの映像から、我々の、普段言語化されず内面の葛藤の域を出て表彰されることのない部分をそっと撫で付ける。もはやメッセージは、明確なものである必要なないのではないか。

 僕と初海の境遇は似通ったものとは言えないが(そもそも性別が違う時点で受ける社会圧力も思考形態もちがう)、そこに何か通底するものを見出すとしたら、それはその曖昧なものの存在、何かを抱えている自分を知っている、という自覚なのだろう。

 

 

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Pomme - On brûlera | Sofar Paris

 

さて、夜が更けていく。